6. スペイン、アメリカ、日本による統治時代
さて、次にいよいよ統治時代の展示スペースを見ていきます。
フィリピンはこれまでにスペイン、アメリカ、日本に統治されてきました。
我が国日本がかつてフィリピンを統治していたと思うととても心が痛くなります。
それでは順番に見ていきます。
スペインのよる統治
まずフィリピンを最初に統治した国はスペインです。
1521年にかの有名なマゼラン率いるスペイン船団がやってきました。
当時のヨーロッパは大航海時代です。
スペインに限らず当時のヨーロッパの大国は、新しい土地を見つけるたびにその土地を襲撃し、植民地化して支配していきました。
スペインによるフィリピン統治もその一つで、フィリピンを見つけるとすかさず襲撃しました。
しかし、フィリピンの当時の王ラプ=ラプは巧みな戦術によってスペイン船団を迎え撃ち、ついにはマゼラン本人を殺害してスペイン船団を退却に追い込みました。
しかしその後の襲撃によって、フィリピンはスペインの支配下に置かれてしまいます。
当時のスペイン軍は剣だけでなく銃も持っていたため、現地民はかなりの苦戦を強いられたと想像できます。
そしてこの統治の際に、スペイン船団がフェリペ皇太子(後のフェリペ2世)にちなみ「ラス・イスラス・フェリピナス (Las Islas Felipinas,フェリペナス諸島) 」と命名したことが、現在の国名『フィリピン』の由来になっているそうです。
現在のフィリピン語はスペイン語ととても似ている要素がたくさんあります。
それはまさしく、かつてスペインに支配された歴史があるためです。
その後約350年近くスペインはフィリピンを統治しました。
アメリカによる統治
スペインの統治から約350年後、フィリピンの独立運動が勃発します。
スペインとの戦争を経てついに1898年6月12日に独立宣言をします。
しかしそのすぐ後の1898年12月10日にスペインはアメリカとパリ講和条約を締結し、そこでスペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで譲渡しました。
フィリピンが独立宣言をしていることなどお構いなしの譲渡です
その後すぐにアメリカとフィリピンは戦争に突入します。
1902年までにアメリカ軍がフィリピン主要部を占領し、アメリカ合衆国の植民地となりました。
ようやく実現したかと思われた独立宣言はあっという間に握りつぶされてしまいます。
当時の資料もこちらの博物館に展示されています。
当時アメリカ軍はすでに機関銃を使用していたため、フィリピン軍はかなり苦戦します。
しかし、フィリピン軍はジャングルの地形を利用したゲリラ戦を展開して粘り強く応戦しました。
結果戦争は長期化しました。
そして当時の大量の紙幣も展示されていました。
私自身、フィリピンの歴史を調べながらこちらの記事を書いていますが、書いていてとても悲しくなります。
日本による統治
そしてアメリカによる統治後、日本による統治が始まります。
第二次世界大戦中、日本軍は当時フィリピンを統治していたアメリカ軍からフィリピンを占領し、統治下とします。
日本統治時代の品々も多く展示されていました。
こちらは当時のニュース雑誌の様ですね。
さらに統治時代に使用されていたと思われる日本語教育用の教科書も展示されていました。
当時、現地の人々は日本語をおそらく強制的に学ばされていた様です。
フィリピンに限らず、かつて日本の統治下にあった国々(台湾やシンガポールなど)では日本語教育がなされていました。
したがって、今でも現地のお年寄りには日本語を話せる方々がいらっしゃいます。
私自身も何度か日本語を話すことができる現地の方とお会いする機会がありましたが、やはりなんだか申し訳なる気持ちと罪悪感に襲われます。
今後日本は一生をかけてかつての過ちを償っていかなければならないと心から思います。
日本だけにいるとこの様な感情は正直あまり湧いてきませんでしたが、実際に統治時代を経験している方にあるとかなり責任を感じます。
日本がフィリピンを統治後、日本は民心を回復するために、1943年10月14日、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国の独立を認めました。
これで日本はラウレル政権と同盟条約を締結し、形式面では日本の軍政期の終わりを迎えます。
しかしその後、第二次世界大戦で日本が劣勢に立たされてくると、やがてアメリカ軍率いる連合軍が再びフィリピンの首都マニラを制圧します。
第二次世界大戦によるフィリピン人の犠牲者は110万人にのぼったそうです。
さらに第二次世界大戦後も徹底的な迫害が続けられ、親米政権が維持されることになりました。
第二次世界大戦後、1946年4月の選挙で地主を母胎にした国民党、労働運動とフクバラハップを母胎にした民主同盟との選挙戦を制した対日協力者を母胎とする保守派の民主党が勝利し、マヌエル・ロハスが新たに大統領に選出されました。
そして1946年7月4日、フィリピンはようやく主権を獲得し、第三共和国が成立します。
1521年から始まった長い長い統治時代はこうして終わりを迎えました。
7. フィリピンの政治
お次にフィリピンの政治について展示しているスペースをご紹介します。
こちらにはフィリピンの歴代の大統領について紹介しています。
初代大統領から順番に見ていくことができます。
長年、スペインやアメリカ、日本の統治下だったフィリピンは独立国家としての歴史はまだまだ浅く、館内に展示れている大統領は一番古くても1941年です。
館内のぐるっと回ると段々と時代が進んでいく様になっています。
そして館内を見ているとなんとなく刑務所だった当時を連想させられます。
窓がかなり高めの位置に設置されています。
これは囚人が逃げられない様にするためだったのでしょうか。
奥に進むと1972年あたりの時代まで進みました。
このあたりからは民主化も進んで自由化が促進されていった様です。
さらに女性大統領もいらっしゃいました。
恥ずかしながら私は存じ上げなかったのですが、オバマ前大統領とも会談していた様ですね。
ぐるっと見回したところ、訪れた2018年8月現在の大統領であるドゥテルテ大統領に関する展示はまだありませんでした。
先ほどの統治時代の重たい展示スペースよりかは少しリラックスして見学できますね。
8. その他の館内
ここまでで、展示品は全て回り終えました。
最後に展示スペースとは別の館内の様子をご紹介します。
まず建物の外観をぱしゃり。
西欧の文化を連想させるおしゃれな水場があります。
こちらの向かって右側がセブ島原住民の生活を展示するスペース、左側が統治時代を展示するスペースになります。
さらに奥に進むと広場に出ます。
奥にはお土産屋さんがあります。
なんだかんだちゃっかりお土産屋さんもあるんですね(笑)
お土産屋さんの中にはメッセージが飾られていました。
日本の方が書いたと思われるメッセージカードもありますね。
お土産屋さんの隣にはカフェらしきスペースがありましたが鎖で封鎖されていました。
中を覗いてみましたがもう営業はしてなさそうです。
そして覗いて気づきましたが建物の中は異常に暑かったです。
今までは館内は冷房が効いていましたので何も気にしませんでしたが、エアコンがないとサウナの様に蒸し暑くなっています。
刑務所だった頃には当然エアコンはありませんでしたので、囚人たちはこのサウナ状態の部屋で過ごしたのでしょう。
なかなか劣悪な環境です。
そしてこちらのカフェの裏側には井戸がありました。
覗いてみるとかなり深いところに水がありました。
今でも使えるんですかね。
当時の人々はこちらの水を利用して生活していたのでしょう。
現地の生活感が伺えます。
ということでスクボ博物館(Museo Sugbo)全て見学し終えました!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ここでは2018年8月27日〜2018年8月31日にかけて旅行したフィリピン・セブ島で訪れたスクボ博物館(Museo Sugbo)をご紹介しました。
スクボ博物館(Museo Sugbo)はセブ島市内の市街地にあり、フィリピンの歴史について学ぶことができます。
セブ島と聞くとリゾートや海、バカンスなど良いイメージばかりを想像すると思いますが、歴史を振り返ってみると様々な国から統治下にされたつらい歴史があることがわかります。日本もその統治した国の一つです。
スクボ博物館(Museo Sugbo)を訪れて、フィリピンの歴史にてついて学び、その国を異なる視点から見てみるのも海外旅行の醍醐味の一つです。
ぜひ訪れてみてください。
帰り際、すやすやと眠っている猫の姿を見て、若者ながら『平和な時代に生きていることに感謝しよう』と感じました。
平和な時代でないとそもそも海外旅行もできませんからね。感謝です。
皆さんもセブ島を訪れた際にはぜひスクボ博物館(Museo Sugbo)訪れてみてください!!!
さらに過去の記事ではベトナムの歴史についてもご紹介しています。
もしご興味があれば合わせてご覧ください。
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ベトナム・ハノイ旅行を通してベトナムの歴史を感じる
その他今回のセブ島旅行で利用したホテル、シャングリ・ラ マクタン リゾート & スパに関する記事なども合わせてご覧ください。
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